2013年3月3日日曜日

自分の行動を自分で選択して実行する権利



前回お話したように主なアサーション権には9つあります

今回はそのひとつ自分の行動を自分で選択して実行する権利について説明します。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
   9.周囲の期待に応えなくて良い権利

自分の行動を自分で選択して実行するのは万人に認められた権利です。
自分の希望や要求を伝える権利も含まれています。

目上の人や権威のある人に対して、自分の欲求や希望を伝えるときは、抑圧あるいは控え目にするのがよいと思い込んでいる人がいます。

この考え方は、自分が目下の場合、自分の欲求や意見を容認するのは相手であり、自分ではないという判断に基づいており、叶えられるのは相手次第という解釈です。

この受動的、他動的な考え方に立つと、自他肯定、自他否定など生きる構えのメカニズムが働き、逆の立場、自分が目上の位置にいるときは、相手の欲求を操作できるということになります。

その場合、自分がそうであったように欲求を抑圧したり、弱点を探して指摘することで人間的な価値を値引きします。あるいはその立場にあっても自分の意見は欲求は相手次第という考えになります。

前者はアグレッシブ(攻撃的)、後者はノン・アサーティブ(非主張的)になので、共にお互いを尊重したWIN-WINな円滑なコミュニケーションはできなくなります。

子ども時代からの体験で培われた価値観の影響によりますが、そこには自分の希望を控える従順な子どもがいます。

欲しいものをねだらない子、必要な小遣いを求めない子、行きたいところを要求しない子、自分の意見、気持ちを言わない子がいます。親には従順でなければならないと思い込んだ体験を重ねた子たちです。

従順な子どもを続けるほど「いい子」扱いされて、自分でもそれをポリシーにしてしまった子は、周囲には素直でも、自分には素直でなくなります。欲求をあきらめる習慣を身につけてしまい、さらに欲求そのものを持たないことでバランスをとる習慣を身につけ、自分の欲求さえ分からなくなります。成長すると自分の目標が持てなくなり、なにをしたいのか、なにをしていいのか分からなくなります。

結局、他者の言われるままに行動することがもっともしっくりするように感じて、そのようにします。


しかし人権には、自分の行動を自分で選択して実行する権利が認められています。自分が自分らしく生きて他者が他者らしく生きるには、自分の行動は自分で選択して実行していいのだというアサーション権を行使することが大切です。

自身が行使しない人の前では、他者も使うことが難しくなります。自分が意見を出さないから、相手も意見を出せないというような関係では相手は楽しくもなければ成長もありません。

仮に反対意見であっても意見であって批判ではありません。違いはどこまでも違いでしかなく、間違いではありません。違いがあるから他者との区別もつくのであって、その中から、やがて共感、共有、共鳴に発展します。違いがなければ、あるいは違いを認めない関係性で、ただ合わせる振りをしているだけで自律することもなく、共感、共有、共鳴は生まれません。

自律ができるからこそ共感、共有、共鳴は可能になります。人と人の間にある境界を認めない親分子分の関係性には見せかけの共有・共感でしかなく、本当にはありようがないのです。

私たちは誰でも、自分の要求を持ってもよく、自分の行動を自分で選択して実行する権利を持ってよく、他者に対しても同じことが言えるのです。これを実行することで、自他肯定の構えが育ち、人はみんな対等なのだという意識が自分のものになります。

対等であることを前提としたコミュニケーションが可能なるので互いに受け入れることができます。対等感がないと、自分は劣っているという意識のもとに、相手を見下したり人間的な価値の値引きを探して、常に意味もなく競争的になります。

健全な精神の持ち主ならコミュニケーションをしたいと思わなくなりますので、裸の王様になってしまいます。
そのようにならないためにも自分の行動は自分で選択して実行していいのだと意識して行動します。

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